盛岡中央高校 第11回 CHUO国際教育フォーラム

ソウルの昌文(チャンムン)女子高校から林東園(イム・ドンウォン)先生と3名の学生が参加しました。
昌文女子高校の学校誌に掲載された記事をご覧ください。
その下に日本語訳を掲載しています。

世界の中の韓国、昌文(チャンムン)から光を放つ!

第11回 CHUO国際教育フォーラム

学生会長 キム・ハヌル

 我が学校は日本のCHUO高校と姉妹学校結縁を結び、毎年開かれるCHUO国際教育フォーラム(以下フォーラム)に参加している。環境問題を主題とした今年のフォーラムにはアメリカ、中国をはじめとした15か国が参加し、私は学生会長の立場で2名の学校広報大使の学生、林東園先生と共に日本の盛岡市に行くことになった。

 仙台空港に降り立った時は日本と我が国の文化が大きく違うということは感じられなかった。ただ、日本の空港が少し小さく、全ての乗務員たちはいつも訪問者たちを笑顔で迎えてくれるということくらい、しかし時間がたつほど私は日本と我が国の文化がどれだけ違うのか、一つ一つ体得することができた。初日にはルイズホテルで宿泊し、オリエンテーションと全てのフォーラム参加者がともに集う晩餐会が行われたが、私たちのテーブルにはタイとアメリカの参加者がいた。私たちはアメリカチームのジュリアン先生ととても親しくなり、タイの学生たちとは今でもメールを交換するくらいに親しくなった。夕食のあとには韓国チームだけで遊び歩いたが、通訳の細田誠司さんが私たちを案内して下さった。彼は韓国語がとても上手で、昨年にも韓国チームを手伝った方だったので信頼できた。その後私たちとかなり親しくなり、別れるときには日本の伝統キャラメルとお小遣いを下さり、手書きの手紙まで下さった。先日は少しのお菓子と日本滞在中に撮ってくれた私たちの写真をCDに焼いて送って下さった。とても幸せで感謝である。彼を忘れることができないだろう。

 全6日の訪問中、5日目にフォーラムが開かれるので、残りの期間にはフォーラムのリハーサルとその他事前準備、日本の学生と活動交換、午後にはホームステイ家族との時間を過ごした。私が青山家の元で日本を感じたので、今この時間あまりにも楽しく幸せな思い出だけが残ったようだ。ホテルを出て中央高校に行った。学校がちょうど学園祭の期間だったので私たちはいろんな日本の友達にあり、「お化け屋敷」のような企画に参加したりもした。最も記憶に残っているのは浴衣を着て茶道をしたことである。スカートが広くひろがった韓服(チマチョゴリ)に比べて幅が狭い浴衣は自然と刻み足に歩かさり面白かった。私はそれなりによかったが、西洋の学生たちは膝をついて座ることをとても辛そうにしていた。茶道は昨年に礼法室で学んだ韓国伝統の方式とは違って珍しく面白かった。今回のフォーラムを通して最も親しくなったjìngjìngと遊びまわっていて家に帰る時間になって私のホストの青山マナに会った。

 私がホームステイをしたマナの家は自然の余裕が感じられる町、三ツ割にあった。マナは優しくてかわいい学生だった。私たちは二人とも漫画が好きだったので、一緒に漫画に関するたくさんの所を回り歩いた。マナは目が合うたびにあいさつをしてくれ、いつも私に配慮して一緒にいてくれた。青山家はみな親切でしたが、私は特にお父さんが記憶に残っている。とても若くて面白く、気が利く方で英語も上手だった。私が日本文化にあわない行動をすれば「あ、そうか」とおっしゃいながら日本文化を教えてくれた。また私の両親と私にプレゼントとして有名ブランドの時計を下さったし、最終日にはカラオケにも連れていって下さったが歌がとてもお上手だった。お母さんの笑い声も記憶に残っている。私のために食事に毎回キムチを置いて下さり、とても立派な料理家だった。そしてダン。ダンはマナの弟でとてもかわいく(まだ4歳だったが)ハンサムな子供たった。私の前でははにかんでいたが、その姿が余計にかわいかった。青山家は私にプレゼントをいっぱいくれたのに、私はたくさんあげられず申し訳なく感じた。この文章を書いている途中でも家族が恋しくなる。遠くて近い国。この表現で「遠い」ということはただ韓日両国の歴史的な意識とそれに伴う心的な距離感だけであろうと感じた。

 しかし日本人と私たちは本当に遠かった。衣食住から始まって全ての面が違っていたので驚いたり慌てたりすることが多かった。率直に言って韓国人として理解できない部分もあった。しかし青山家の方が私にしてくれたように、また私が彼らにしたようにお互いを配慮し理解するならば、日本は近くて遠い国ではなく近くてもさらに近づくことができる国になるだろうと思う。

 フォーラムの話に移る。いろんな国の学生たちと会ってみるとやはり一番大きな問題は「対話」だった。韓国の英語教育がもう少し実用的な方面に進んでいたならばいいのにという思いがした。それでも私たちが途方にくれて会話に困る水準ではなかった。フォーラムに参加した全ての学生は英語を自由自在に駆使できる学生が選ばれてきたので、初めは少し気おくれがしたが、林東園先生が励ましてくれ、林先生が他の先生たちと英語で話しながら打ち解けている姿を見せてくれて、私たちもがんばった。実際に対話をしてみると8年間の英語教育がそれでも無駄ではなかったし、少し前に昌文で受けたTEPS試験や英語のレベル別授業が役になったことを感じた。

 ついにフォーラムの当日、私は朝からとても多くのことが頭をよぎった。このフォーラムのために私と他のメンバーがどんなに体を酷使してきたのかを思うとすぐに何でもしたくなった。私たちはすでに7月からフォーラムの準備を始め発表資料を作成し練習し、韓国伝統舞踊である花冠舞を見せるために夏休みも学校で練習をしていた。出国する前日まで集まり練習をして、疲れていた出国日を思い出していると、今この場に来るまで私たちを助けてくれた先生たちと関係者の方が思い出され限りなく感謝の思いがあふれた。

 私たちは12番目に発表をした。大変緊張したが今までの練習を無駄にしないよう最善を尽くした。そして私たちがあんなに熱心に練習してきた花冠舞(韓国の伝統舞踊)!ものすごい拍手を受けた。私たちが化粧にうといため、ベトナムの学生が自分のメークアップ箱で私たちを変身させてくれたのだが、その全てのことがうまく作用して素晴らしい結果を作ってくれた。じつはそれ以前までほとんど対話がなかったなかった数か国の学生が素晴らしかったと称賛してくれたし、韓服を着てみたいと関心を示した。私たちがフォーラムを開催した「マリオス」は韓国の教保ビルの大きさの公演、会議センターである。客席数が1500席を超えると思う。みんなで一緒に地球環境の歌を歌い幕が下りた時、私は感激のあまり胸があつくなった。みな歓呼しながら抱き合った。(私たちは新型インフルエンザなど考えてもいなかった)

 このような機会を得るようにしてくれた昌文と私を選んでくれた昌文の皆さんのお陰である。とても意義深い1週間だったので皆さんに感謝するばかりである。今回の経験は私の青少年時代に美しい思い出をもたらした大きな事件だったし、世界に向かう目と胸がさらに大きくなる契機になった。

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