第1回 岩手韓国語教育研究会 2010.2.27
ㅂパッチムをもつ漢字音と歴史的かなづかい 話題提供者 細田誠司
昔感動したこと 私は20年くらい前、韓国語を学び始めた初期のころ、「漢字で覚える韓国語」というようなタイトルの本を立ち読みし、非常に感銘を受けた記憶があります。1〜10の漢字の韓国語読みから、その漢字読みの規則を学ぶものでしたが、特に驚いたのは、十がなぜ십になるのか、それは歴史的仮名遣いで「ジフ」と書くことに対応しているということでした。濁点をとって、フをプにすればシプ! 例えば「答(タフ)」もフをプにすればタプ。 約束が약속となるように、音読みの「〜ク」がㄱパッチムに対応するということは教わらなくても自然と理解できることですが、ㅂパッチムは一体何なのか? 日本人にとっては関係性がまったく不可解です。 その立ち読みの本でその秘密が解けたことに大変感動しました。 しかし、その関係性がわかったことで、さらに深い疑問というか謎が渦巻くようになりました。 そもそもなぜ歴史的仮名遣いに韓国語読みが対応するのか・・・? 歴史的仮名遣いがどのようなものかは詳しく知りませんでしたが、すくなくとも昔の日本語の発音に無関係ではないはずです。昔は日本でも十をジフ、答をタフと読んでいたのか??
歴史的仮名遣いとは 歴史的仮名遣いは、日本で戦前まで使われていた表記法(正書法)で、 「こういう」が「かう云(い)ふ」 「ありましょう」が「ありませう」 のようになります。旧仮名遣いなどとも言います。 平安時代(8世紀〜)は実際にこのようなかなの通りに発音もされていました。しかし歳月が流れ、発音に変化が現れると、書き言葉と実際の発音にギャップも生じ、表記法にも揺らぎが出てきました。そこで明治時代になって、平安時代当時のかなを表記に使うように教育が施されることになりました。表記と実際の発音は一定の距離がおかれたわけです。 戦後になって、発音どおりの表記を原則とした現代の仮名遣いとなりましたが、助詞の「〜は」「〜へ」など、歴史的仮名遣いが一部残されています。 歴史的仮名遣いは本来、和語(純日本語)についてのもので、漢字の読み仮名については関係しません。しかし江戸時代、本居宣長らによって、漢字の読み仮名も漢字が輸入された当時どう読んだかを推測して、歴史的仮名遣いに相当するものがつくられました。これを字音仮名遣いと呼びます。広い意味で、ここではひっくるめて「歴史的仮名遣い」としました。
歴史的仮名遣いが「フ」で終わる漢字とハングル表記 (2つ以上の読み仮名があるものもあります。また日本で略字が使用されているものは略字のみ書きました。)
この表を見ると、フがついているのにㅂにならないものが3つあります。 (凹, 漁, 臈)
いつごろにこれらの読み方ができたのか。 日本における漢字の読みには、呉音、漢音、唐音などが知られていますが、その中心は漢音です。漢音は8世紀頃、奈良時代後期から平安時代の初めごろまでに、遣隋使・遣唐使や留学僧などにより伝えられた音をいいます。 韓国(韓半島の昔の国を全て韓国と呼ぶことにする)における漢字音が確立したのはいつの時代かは特定が難しいですが、唐代の長安音が中心ではないかとされています。日本の漢字音ができた時期と重なる部分もあり、このような類似性が生まれているかもしれません。 -pのつく漢字音は、現代の中国語の音には存在しません。
ハ行転呼について ハ行転呼とは、日本語史における大きな音韻変化の一つで、語中・語尾のハ行音がワ行音へと変化した現象をいいます。平安時代前期に起こり、鎌倉時代には一般化しました。 川:かは→かわ 顔:かほ→かお 恋:こひ→こい わたしはうみへいきます。 「-p」の漢字音もプ、フ、ウのように変化していったと考えられます。
結論 韓国でも、日本でも、古代の中国から漢字が伝わり、当時の発音も輸入され、当時は韓国でも日本でも「-p」の音はそのまま発音されていました。「-p」の発音は韓国ではそのまま残り、ハングル創成後は「ㅂ」と表記されました。日本ではハ行転呼により「-ウ」と変わってしまいましたが、江戸時代以降、歴史的仮名遣いで「フ」と表記することになりました。このような事情で、歴史的仮名遣いでの読み仮名が韓国語の発音と密接なつながりを持つようになったのです。 なお、ㅂとフの対応以外にも、歴史的仮名遣いが韓国語の発音と類似したり、対応している例は多くあり、日本人に韓国語を教える際に、教師がそのような知識を持っていると指導に生かせると思います。 (例:同じ「カン」でも間(カン)、幹(カン)、関(クワン)、館(クワン)) |